【おすすめコース2】米騒動の足跡を辿る

更新日:2024年04月09日

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歴史の教科書にも載っている「米騒動」の足跡は全国津々浦々に点在する。 滑川をはじめとした多くの地域で米騒動が発生した。ここでは、大正7年(1918年)に起きた滑川町(現:滑川市)での米騒動の変遷を辿る。 

斎藤仁左衛門宅

斎藤仁左衛門宅

斎藤仁左衛門宅

8月5日に人々が押し寄せるも、亭主である斎藤仁左衛門は米が売れない理由や、中新川郡の米相場を決める権限が斎藤家にはないといった趣旨を理路整然と説いたことによって、押しかけの対象から外された。

渡邊與四郎宅

渡邊與四郎宅

渡邊與四郎宅

斎藤家と同じ日に押しかけにあった、当時の米肥商宅。堺町(現:加島町)にあり、騒動のあった斎藤家との距離も近いことから、いかにこの地域に米問屋が多かったかを物語っている。

滑川銀行米倉

滑川銀行米倉

滑川銀行米倉

大正5年(1917年)に滑川銀行が建てた米倉。加積雪嶋神社の裏手に建てられ、地域に林立する米倉のうちの一つとなった。

廣野家(深井省三宅)

廣野家(深井省三宅)

廣野家(深井省三宅)

コースその一でも紹介した廣野家。米騒動時は滑川米肥会社の取締役である深井省三の邸宅であり、会社に人の気配がなかったことから、町民自らこの自宅へと押し寄せることとなった。

滑川館

滑川館

騒動時の滑川町長である加藤甚右衛門の邸宅。滑川館本館として国登録有形文化財になっており、所有者が変わってからは旅館業を営んでいた。現在は営業していない。

金川宗左衛門商店米倉

金川宗左衛門商店米倉

金川宗左衛門商店米倉

県内最大の約2,000名の人々が押し寄せた金川宋左衛門商店の向かいに立っていた蔵の一つであった。現在は暗渠化されている晒屋川(中川)に沿って金川家の米穀・肥料用の倉が建ち並んでいた。

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