所蔵資料紹介 Vol.5 風月会俳句大会秀逸句選

更新日:2024年01月22日

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Vol.5 風月会俳句大会秀逸句選

昭和3年(1928)7月15日、滑川町の俳諧結社「風月会」の俳句大会が行われました。会場は常盤町にあった料亭の清水花壇で、東京から巌谷小波〔いわや・さざなみ〕(1)を選句者として招いています。

  1. 巌谷小波:明治3年(1870)~昭和8年(1933)。本名・季雄〔すえお〕。漣山人〔さざなみさんじん〕、大江小波、隔恋坊〔かくれんぼう〕などの号も持つ。父親は日下部鳴鶴〔くさかべ・めいかく〕と並び、明治時代を代表する能筆家として知られる巌谷一六。

巌谷小波は尾崎紅葉・山田美妙たちが結成した硯友社(2)で小説家として頭角を現し、後に児童文学やお伽噺の分野に進出すると『日本昔噺』『日本お伽噺』などのシリーズで広く知られるようになり、さらには日本の話だけにとどまらず、世界の昔話・伝説も子ども向けに刊行しました。児童文学の世界では第一人者とされる文化人でした。

  1. 硯友社:明治18年(1885)に発足した文学結社。明治20年代には文壇の一大勢力となった。文学の価値を高めて広く一般化するとともに、文学の近代化の基礎を作ったことが高く評価されている。

この俳句大会の結果が掲載された風月会会誌『凡人』63号によると、兼題(あらかじめ出されている題)は「蛇苺」と「青田」で、1100余句の応募があったとあります。優秀句の上位20名は居住地も書かれており、滑川・水橋・四方・東岩瀬・伏木といった富山県内だけではなく、金沢・秋田・陸中(現在の岩手県の大部分と秋田県の一部)の人物も見られ、広範な地域から句が集まった盛況な俳句大会だったことが分かります。

風月会俳句大会秀逸句選
扁額に記された秀逸句上位8句と追加句
賞名 詠者 備考
 微風五里 青田見あかぬ 峡かな  青潭(水橋)  姓:押田
 蛇苺 地を彩りて 朽ちにけり  秋月(東岩瀬)  姓:荒井
 新開の 廓からつゝく 青田かな  風外(滑川)  姓:越田、住:中川原
五客  蛇苺 白狐封せし 森蔭に  草太(四方)  
五客  雲の影 走りて青田 戦きけり  汀石(伏木)  
五客  蛇苺 熟れしニ小蟻 限り無く  等雪(陸中)  
五客  蛇苺 苅られて 崖ニかゝりけり  逸瓢(滑川)  
五客  虹たつや 青田の森の 向ふより  草太(四方)  
追加  蛇苺 赤きく恐き 世なりけり  巌谷小波(1)  
追加  白壁の あたり青田の 主かな 巌谷小波(1)  
  1. 追加句の詠者は不明でしたが、「巌谷小波日記」を調査したところ、この俳句大会の選者を務めた巌谷の詠句であることが分かりました。「巌谷小波日記」については、Vol.5補遺「巌谷小波と滑川」をご参照ください。

俳句大会を主催した風月会は、明治19年(1886)に寺家村(現滑川市寺家町)の俳人・吉田芳塢を中心に結成された俳諧グループです。この会は当初、松尾芭蕉の流れを引く蕉風に属していました。しかし昭和に入ると、高浜虚子と並んで正岡子規門下の双璧と謳われた河東碧梧桐〔かわひがし・へきごどう〕と滑川で句会を行うなど、風月会も徐々に近代俳句の影響を受けるようになったと考えられています。

風月会会員名が書かれている名簿の写真

風月会会員名簿
(『凡人』63号掲載)

本資料は、三光といわれる「天」「地」「人」、それに次ぐ「五客」と追加2句の計10句の秀逸句が、選句した巌谷小波の筆によって書かれたもので、最優秀句の「天」を受賞した風月会水橋支部の押田青潭へ記念に贈られたものです。この俳句大会が行われた昭和3年頃は、水橋・伏木・富山に風月会の支部が設立し、風月会の活動が活発化する時期にあたります。ここで紹介した巌谷小波以外にも、水墨画家の近藤浩一路や後に日本芸術院会員となった小杉放庵なども風月会の活動のため滑川を訪れています。

地方俳壇と都市文化人との交流の実態を示すものとして貴重なこの資料は、平成22年に押田青潭のご子孫から当館へ寄贈いただきました。

(文責:学芸員 近藤浩二 2010年9月1日)

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