国登録有形文化財(建造物その二)

更新日:2023年04月01日

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建造物

有隣庵(旧土肥家住宅)主屋

有隣庵(旧土肥家住宅)

有隣庵(旧土肥家住宅)

 土肥家は代々清平を襲名し、藩政時代は田中屋という屋号の宿屋で、大名の参勤時などに使用する部屋が30室程あったという。明治時代は反物屋を営んだ。本建物は慶応3年(1867)に土肥家によって建築されたが、昭和4年(1928)年以降は売薬・製薬を生業とした種井家が所有した。平成25年(2013)に永井家の所有となり、現在は有隣庵と称する地域文化の研究や町並み保存活動の拠点として市民に活用されている。
 旧北陸街道の南側に面して奥に深い短冊状の敷地に建つ。主屋の一階平面は片側をトオリニワとし、それに面して7室を2列に配する比較的大規模な町屋である。

所在地
滑川市瀬羽町1848-1

所有者・管理者等
永井康雄

菅田家住宅(主屋、衣装蔵)

 菅田家初代與右衛門は塩、二代與右衛門は木材、三代與右衛門は木綿を商い、四代與右衛門は田畑を開墾して家業を拡大し呉服太物を商う傍ら、売薬や質屋も始めたと伝えられる。
 主屋は明治初期建築(正確な建築年代不明)。衣装蔵は安政2年(1855)の建築。敷地は旧北陸街道の南側に面して奥に深い短冊状である。主屋は街道に面して建ち、衣装蔵は、主屋の背後に中庭を隔てて立っている。盛時には衣装蔵の南側(背後)に質蔵、西側に薬蔵、その南側に米蔵の計4棟の土蔵が建っていたという。現在は薬蔵と米蔵は解体され、質蔵は現存しているが他家の所有となっている。
 慶応2年(1866)に当家敷地の南側にある養照寺を火元とする「養照寺焼け」と呼ばれる大火があり、瀬羽町一帯は焼失したという。主屋は当家の課税明細書には明治4年(1872)とあることから、養照寺焼けの直後に再建されたと推定され、衣装蔵は大火で焼け残った数少ない建造物の一つである。
 平成29年(2017)、主屋・衣装蔵の2棟が登録有形文化財に登録された。

木造2階建てで、2階窓に縦格子が見られる菅田家住宅主屋の外観写真

菅田家住宅主屋

白い外壁の建物で、入口上部に瓦屋根があり、観音開きの扉が設置された菅田家住宅衣装蔵の外観写真

菅田家住宅衣装蔵

所在地
滑川市瀬羽町1855、滑川市瀬羽町1854-1

所有者・管理者等
菅田安男

養照寺本堂

 真宗大谷派に属する藤谷山養照寺は滑川旧市街地のほぼ西側に位置する。藩政時代は加賀藩前田家の本陣も勤めた当地きっての有力寺院である。
 大正5年(1916)建築。木造、平屋建て、入母屋造、桟瓦葺、桁行五間、梁行六間、背面一間通り及び両側面後半に庇を付し、正面及び両側面前半に切目縁を廻す。建具は両折桟唐戸、板扉、遣戸、格子戸など。本堂は天保9年(1838)の大火で焼失し、再建途中の慶応2年(1866)に大工小屋から出火した「養照寺焼け」と呼ばれる大火で再び焼失した。明治45年(1912)に再建が始まった。

養照寺本堂(囲い設置前)

養照寺本堂

養照寺本堂(令和4年)

所在地
滑川市領家町551

所有者・管理者等
宗教法人 養照寺

滑川館(本館、道具蔵)

 滑川館は、晒屋川に沿って南北に形成された繁華街・晒屋商店街から西に延びる小路の南側に面して建つ。小路に面して本館が建ち、その東側には道具蔵、中庭を隔てて南側に離れの土蔵が建つ。これらの3棟は、加藤甚右衛門の邸宅として明治20年(1887)に建築された。加藤甚右衛門は明治29年(1896)から大正9年にかけて滑川町長や県会議員を歴任した有力者である。その後、所有者が変わり、昭和15年(1940)からは土肥家の所有となった。土肥家は明治期には横町(現、滑川市横町)で旅人宿を営んでおり、後に樺太売薬に転じて財を成した。戦後は樺太での売薬ができなくなったため、昭和21年(1946)に現在地で再び旅館業を始めた。
 建築時代は「固定資産税課税明細書」では明治43年(1910)であるが、屋根工事の際、梁に明治20年(1887)の墨書があることが確認されている。
 平成29年(2017)、本館・道具蔵の2棟が登録有形文化財に登録された。

木造2階建て、1階外壁に縦格子が施されている滑川館本館を正面から写した写真

滑川館本館

上半分が白、下半分が黒色の外壁、黒色の外壁部分に白字で「滑川館」と薄っすらと書かれているのがわかる滑川館道具蔵の写真

滑川館道具蔵

所在地
滑川市神家町288-1

所有者・管理者等
土肥穰

櫟原神社(本殿、拝殿、一の鳥居、二の鳥居)

丸みを帯びた唐破風が見られ、入り口部分にしめ縄が下がっている櫟原神社本殿の写真

本殿

石畳の先に建っている櫟原神社拝殿を正面から写した写真

拝殿

右側にある石柱、左右にある狛犬の奥に建っている一の鳥居の写真

一の鳥居

 滑川の旧市街地は、富山湾に沿って走る旧北陸街道(現・富山県道1号線富山魚津線)の両側に形成されたが、当社は市街地の東端部に位置し「東の御宮」と称される。社地の南側は旧北陸街道、北側は日本海に面する。かつては現在地より2km程東の柳原の地に開闢されたといわれているが、上杉謙信の越中への侵攻の際の兵火により社殿は悉く焼失したといわれており、その後現在地に遷った。

 

しめ縄が付けられた二の鳥居を正面から写した写真

二の鳥居

 本殿は、明治5年(1872)建築。拝殿は大正4年(1915)建築。一の鳥居は安政7年(1860)建築。二の鳥居は大正10年(1921)建築。
 平成29年、本殿・拝殿・一の鳥居・二の鳥居の2棟2基が登録有形文化財に登録された。

所在地
滑川市神明町1177

所有者・管理者等
宗教法人 櫟原神社

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