滑川市指定文化財(史跡)

更新日:2023年04月01日

ページID : 2988

史跡

句碑(有磯塚)

屋根付きの木造の建物に収められ、透明なケースに入っている松尾芭蕉の句碑の写真

有磯塚と知十塚(令和4年)

 元禄2 年(1689)、松尾芭蕉が奥の細道紀行の際に越中で詠んだ句として知られる「早稲の香や わけ入右は ありそ海」の句碑。
 芭蕉の70 回忌を契機として、当時滑川の俳壇を代表する川瀬知十・史耕・珂城らが中心となり、明和元年(1764)に荒町の徳城寺に建立された。この句が刻まれた石碑は富山県下に10 基以上あるが、建立年が明確で最古のものが有磯塚である。明治13 年(1880)、徳城寺が現在地に移った際に句碑も移転した。
 有磯塚の脇には川瀬知十の13 回忌に建てられた「知十塚」もある。

所在地
滑川市四間町598

所有者・管理者等
徳城寺

千鳥遺跡

 千鳥から堀の内にかけての標高250m に位置する縄文時代中期を中心とする遺跡である。昭和31、32年に滑川市初の学術調査が行われ、当時としては珍しい石組炉や柱穴が発見されたことで、竪穴住居跡が存在したことは確実と見られている。
 また、縄文土器片とともに石斧や獣骨も出土しており、狩猟生活を行っていた千鳥ムラの生活を彷彿とさせる。
  調査後に、石組炉が発見された地点周辺を市が買い取り、史跡として保存している。

広々とした草地の奥に白い案内板が立っている千鳥遺跡の写真

千鳥遺跡

出土した土器の破片や石器の一部が18種類並べられている写真

縄文土器・石器(千鳥遺跡出土)

所在地
滑川市堀の内字坂高500

所有者・管理者等
滑川市

東金屋たたら製鉄場跡

 たたら製鉄とは、粘土で作った炉に砂鉄と木炭を入れ、送風装置(ふいご)を使って鉄を作る製鉄法で、一般的には中国山地がよく知られている。
 滑川の売薬商が伯耆国(鳥取県)から職人を雇用して、文化4 年(1807)から短期間操業されていたのがこの製鉄場である。昭和48 年、圃場整備中に遺構が発見され調査が行われた結果、地下構造が良好な状態で残っており、また操業について記した史料も存在することからも貴重な史跡といえる。

遠くには建物が見え、広々とした草地に白い案内板が立っている東金屋たたら製鉄場跡の写真

東金屋たたら製鉄場跡

遠くには家と木々が見え、広々とした場所が写っており、手前には土が掘り起こされ、地面に穴が開いている古い白黒写真

東金屋たたら製鉄場の本床(写真中央)と小舟(本床両脇)跡(昭和48 年)

所在地
滑川市東金屋字角地477-3

所有者・管理者等
滑川市

東福寺焼窯跡

 この窯跡は高知川左岸の小高い段丘上にある。東福寺村の大地主だった神谷善右衛門が天保8 年(1837)に陶器製造に乗り出し、陶工は越中瀬戸焼から招き、陶土は不水掛から運んだと伝えられている。
 東福寺焼製品の特徴は、越中瀬戸焼の系譜を引き、全体的に装飾性は低く素朴で実用性を重視した日用雑器という点にある。窯は連房式登窯で、現在は煉瓦積の窯の下部が一部残っている。
 明治初年には経営の不振から廃窯となった。

奥には林が見え、手前には草地が見え白い案内版が立っている東福寺焼窯跡の写真

東福寺焼窯跡

椀形、口の広がっている壺、口が細くなっている壺の3種類の東福寺焼製品の写真

東福寺焼製品

所在地
滑川市東福寺字坪野1080

所有者・管理者等
滑川市

一里塚

石が積み上げられて円球状の土盛りがされており、頂上に石碑が建っている一里塚(南側)の写真

一里塚(南側)

 一里塚は街道の両側に1 里(約4km)ごとの目印として中央に樹木を植えた円丘状の土盛りのことである。幕府が慶長9 年(1604)に江戸日本橋を起点として、東海道をはじめとする街道に築かせ全国に普及させた。
 越中国内の北陸街道では江戸時代前期に23 基築かれており、滑川市坪川に残る塚もその一つである。南側の塚は往時の原型を保持していると思われるが、北側の塚は昭和50 年代の道路拡幅工事によって削られてしまった。
 県内において江戸時代初期から残る一里塚は、坪川、境(朝日町)、東水橋(富山市)の3 ヶ所だけである。

所在地
滑川市坪川203

所有者・管理者等
徳城寺

常夜燈

常夜灯

常夜燈

 櫟原神社の東角にある金毘羅社入口脇に建っている石燈籠が指定文化財の常夜燈である。刻まれた銘文から、文化12 年(1815)5 月に滑川宿方肝煎などを務めた川瀬屋が寄進したことが分かる。
 櫟原神社前には明治19年(1886)にガス燈が新設され、明治44 年には電燈が建てられたこともあり、常夜燈はその役目を終えた。
 この常夜燈は沖合を航行する船にも役立ったとの話も残っている。

所在地
滑川市神明町1176

所有者・管理者等
櫟原神社

立山・大岩道しるべ

お花が供えられ、2人の人物が彫られた石像と下の台座には「大岩道 是ヨリ四里」の文字が刻まれた石像の台座写真

石像の台座

石碑に「法華塔」と文字が刻まれた道しるべの写真

法華塔

楕円形の岩に「大岩道」と刻まれた「大岩道しるべ」と横に白い案内板が設置設置されている写真

大岩道しるべ

 滑川市の指定文化財に指定されている道しるべは3基あり、山王町に移設されたものは、正面に「大岩道 是ヨリ四里」、側面に「文化八」(1811)と彫られている。またこの近くの加積雪嶋神社脇に集められた石造物群の中にある寛政8年(1796)建立の法華塔側面と台座、すぐ左にある石像の台座にも道標としての銘文が刻まれており、この辺りが北陸街道から大岩山日石寺(上市町)や立山方面への分岐点であったことが分かる。
 また市内には、常光寺、有金や七口にも立山・大岩への道しるべが残っている。

所在地
滑川市加島町2374-14、滑川市加島町2050

所有者・管理者等
滑川市

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生涯学習・スポーツ課

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富山県滑川市寺家町104番地
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