所蔵資料紹介 Vol.12 “元祖チアリーダー”は滑川高校?

更新日:2022年08月10日

Vol.12 “元祖チアリーダー”は滑川高校?

昭和31年(1956)の夏の甲子園。

富山県勢初となる春夏連続出場を果たした滑川ナイン以上に世間の耳目を集めたのが、アルプススタンドの応援団だったかもしれません。おそろいの紺色のシャツと白のロングスカート、白い帽子に白い靴、白手袋を身にまとった6人の女子生徒たちが、旗や扇子を使った9種類にも及ぶ応援を披露したのでした。現在、甲子園のアルプススタンドでは応援の花としてチアリーダーが大活躍していますが、当時は男子応援団だけだった時代。そんな時代に突如として現れたのが、のちに「六輪の花」とも呼ばれた滑川高校の女子応援団です。

令和3年(2021)夏に開催した企画展「滑川スポーツ史 なめりかわ スポーツの輝き」のテーマの一つが、昭和31年の春と夏、平成13年(2001)の夏と3回の甲子園出場を誇る滑川高校野球部であり、選手たちの活躍を中心に見ていきました。昭和31年春の選抜大会に富山県勢としての初出場を果たし、夏も北陸大会を勝ち抜き、春夏連続出場となった舞台では甲子園初勝利も上げています。この夏の甲子園で全国的に脚光を浴びたのが6人の女子生徒(チアリーダー)たちでした。資料調査の中で、このチアリーダーが特集された雑誌(グラフ誌)も入手することができましたが、展示ではチアリーダーについてあまり触れることができなかったため、改めてご紹介したいと思います。

アサヒグラフ

アサヒグラフ(9月2日号)/1956年/当館蔵

朝日新聞19540814

朝日新聞/1956年8月14日夕刊

6人で結成されたチアリーダーは、富山大会・北陸大会でも好評を博し、評判を呼びました。衣装は、買ってきた布をミシンで手作りし、振り付けは運動会の応援をベースに自分たちで考えたそうです。そんな女子応援団の姿は、甲子園でも大きな脚光を浴び、多くの新聞に写真付きで紹介されるほどでした。

毎日新聞19560729

毎日新聞/1956年7月29日

毎日新聞19560817

毎日新聞/1956年8月17日

朝日新聞19560803

朝日新聞/1956年8月3日

絶賛浴びる滑川女子応援団

県予選で人気を集めた滑川の女子応援団が二日、兼六園球場に姿をみせ、ずば抜けた応援ぶりで称賛を博した。県予選のときと同じ真白な帽子とスカート、紺のシャツという服装で、紅白の扇をはためかせての見事な応援に「北陸随一の応援ぶり」「六大学のようだ」大会役員席では感嘆一しきり。

(『朝日新聞』1956年8月3日)

富山新聞19560803

富山新聞/1956年8月3日

鮮やかな応援ぶり 滑川の女子リーダー

(前略)滑川の応援団は数こそ少ないがリーダーには名物女子学生六人組、おそろいの服装、白い手袋で紅白の扇をもち、手ぶりも鮮やかに声援を送ってファンの拍手を浴びた。このお嬢さんたち三年生石倉京子さんをはじめ二年生吉野芙美子、水野和子、一年生網谷静子、黒崎照美(原文ママ-引用者注)、大浦悦子の皆さん。「甲子園まで必ず行きますよ」と必勝の信念はかたい。

(『富山新聞』1956年8月3日)

中部日本新聞19560814

中部日本新聞/1956年8月14日

男女共学はよきかな

なかでも圧巻は今年の県予選から登場した同校(滑川高校-引用者注)ご自慢の女子応援団でなかなか見事なもの。(中略)チーム・カラーの紺のシャツ、白の帽子とスカートという服装で紅白の扇をはためかせ、甲子園スズメにもしばし試合観戦を忘れさせるほどの水際だった応援ぶり。男女共学が生んだ貴重な産物といえる。

(『中部日本新聞』1956年8月14日)

日高高校

アルプススタンドで応援する日高高校の女子応援団(『日高高校百年史』より転載)

実は春の甲子園で、滑川と開幕試合で対戦した日高高校(和歌山)も、女子応援団が話題になっていました。8人(10人とも)の女子生徒たちが男子応援団員をサポートしたり、男子と同じ応援演舞をしたりしていたもので、服装は黒ズボンの上にセーラー服を着た地味なものだったそうです。なお、この日高の女子応援団を発案した当時2年生だった応援団長は、衆議院議員で自民党元幹事長の若き日の二階俊博さんでした。

黄色い声で “三々七 ”派手な日高の女子応援団

日高高校の応援団に新型がお目見えした。白い厚紙に数字を書込み、応援団長が “三々七拍子”というと女生徒が“3”の紙二枚と“7”の紙を持ってスタンドの団員に見せるといった調子、この女生徒が応援の指揮も取るというので応援は派手なものだった。

 “何しろ恥かしい年ごろなので初めは生徒の前に立つのも尻込みする有様だったのですが、いざ鎌倉となると、女でもこんなに変るもんですかね”と二階応援団長は感心していたが、女子団員の一人吉井芙美子さん(三年)は“お友達が卒業の思い出にぜひやろうというので、やってみたのですが、五日間の猛練習で全員脱退を考えたこともあります。しかし母校を勝たす原動力だなんて人からおだてられたりしてここまでやってきました”と語り終ると雨の中に飛出して“三々七拍子”と黄色い声を張り上げていた。どうやら日高の応援は女生徒に牛耳られた格好。そういえば男子より女子の方が多かったようだ。                             

(紙名不明1956年4月2日、滑川高校蔵「新聞スクラップ」より)

当館としては、華やかさやオリジナリティから地元・滑川高校の女子生徒を“元祖チアリーダー”に認定したいところですが、選抜大会に登場した日高高校も“元祖”と言えるかもしれません。みなさんはどのように感じられますか?

《参考文献》

大下英治『小説 二階俊博』(紀州新聞社、2000)

日高高校百年史編集委員会編『日高高校百年史』(和歌山県立日高高等学校創立百周年記念事業実行委員会、2015)

北日本新聞社編集局編『米騒動100年』(北日本新聞社、2018)

※新聞紙面は段組等のレイアウト変更を加えたものがあります。

 (文責:館長 近藤浩二 2022年8月10日)

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