所蔵資料紹介 Vol.8 昭和30年代の滑川 その2

更新日:2018年02月08日

Vol.8 昭和30年代の滑川 その2

本コーナーVol.6では、昭和30年代の「懐かしの滑川」を取り上げました。今回も引き続き、館蔵写真のなかから30年代を中心にご紹介していきます(年の記載の無い写真はすべて昭和30年代頃です)。

小・中学校

かつて滑川市には小学校9校(寺家・田中・浜加積・早月加積・北加積・東加積・中加積・西加積・山加積)、中学校3校(滑川・早月・中加積)がありました。

早月加積小学校

早月加積小学校

山加積小学校(昭和34年)

山加積小学校(昭和34年)

中加積中学校存続期成同盟会の運動

中加積中学校存続期成同盟会の運動

この写真の早月加積小学校は、大正6年(1917)に追分に建てられた校舎です。しかし、昭和42年の火災によって半焼したことにより、浜加積小学校との統合案が浮上し、両校が統合した東部小学校は昭和44年に創立されました。
山加積地区の滑川市編入(昭和31年)によって組合立山加積小学校が解散したため、一部児童の分散授業が行われていました。写真の山加積小学校は、分散授業の解消を目指して滑川市が建設した新校舎です。
昭和22年、中加積・山加積・南加積の3ヶ村による学校組合立中学校として創設されたのが中加積中学校です。この後、滑川・上市1市1町組合立、滑川市立などを経て、昭和33年に滑川中学校中加積教場となり、最終的には昭和44年に本校である滑川中学校に統合され閉校しました。

公共施設など

滑川市役所北加積出張所(昭和29〜35年)

滑川市役所北加積出張所(昭和29〜35年)

滑川市役所東加積出張所(昭和29〜35年)

滑川市役所東加積出張所(昭和29~35年)

滑川会館

滑川会館

農協滑川病院(昭和26〜31年)

農協滑川病院(昭和26〜31年)

昭和29年3月1日に滑川市が誕生すると、旧村役場は出張所となりましたが、昭和35年に支所制度は廃止されました。
昭和8年頃に改築された旧北加積村役場庁舎(中塚)は、現在の北加積小学校プールあたりに建っていました。大崎野にあった旧東加積村役場庁舎は、昭和3年に新築された建物です。支所制度廃止後は、滑川東部土地改良区・室山野用水土地改良区の事務所として使われていました。
昭和14年、合併により消滅した旧滑川銀行の余剰金によって大町に建設された建物が滑川会館です。商工会議所や議会が入っており、滑川町時代には図書館も設置されるなど滑川の中心的な施設の一つでしたが、昭和47年に解体されました。
昭和20年に富山県農業会第二病院として設立され、名称変更を行いながら昭和26年4月に農協滑川病院が誕生しました。当初は市立病院としての運営を目指したものの、昭和32年に新病院を建設した際に富山県厚生連の運営になりました。名称が現在の厚生連滑川病院となったのは昭和50年のことです。

災害

大雪の滑川

大雪の滑川

町部の水害

町部の水害

浪害(昭和28年)

浪害(昭和28年)

この当時、村部の主要道路ではブルドーザーによる除雪も行われていましたが、市街地などでは家屋損傷の恐れもあったため、住民によって道路の除雪が行われていました。写真は常盤町の除雪作業の様子。
写真は溢れ出した晒屋通りの中川(山側から海側方面)。早月川は豊富な水と肥沃な土を運ぶ一方で幾度となく洪水を起し、中川をはじめとするその支流もたびたび溢れて被害を与えたことが記録に残っています。
高波が打ち寄せる加積雪嶋神社前の様子。冬場に発生する富山湾特有の寄り回り波の被害に、滑川の海岸部は昔から悩まされていました。現在では消波ブロックや防波壁が設けられていますが、この当時は低い護岸堤防しかなかったため、道路や境内地にも石が打ち上げられており、波の力のほどがうかがえます。

町並み

中滑川駅の地下道工事(昭和35年頃)

中滑川駅の地下道工事(昭和35年頃)

高塚の市営住宅

高塚の市営住宅

左の写真は中滑川駅の南北を結ぶ地下道工事の様子です。地下道の必要性が長らく求められるなか、富山地方鉄道が1200万円を投入して整備しました。
昭和29年、常盤町に市営住宅、中川原には分譲住宅が作られました。その後、滑川市は柳原・菰原・高塚などにも市営住宅や分譲住宅を次々と建設しています。写真は高塚の市営住宅。

(文責:学芸員 近藤浩二 2012年4月17日)

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