所蔵資料紹介 Vol.6 昭和30年代の滑川

更新日:2024年01月24日

ページID : 2787

Vol.6 昭和30年代の滑川

富山県滑川市全図が示された地図

富山県滑川市全図(昭和31年)

富山県滑川市全図の表紙

表紙

この資料は、中部職業交通社が昭和31年に発行した『富山県滑川市全図』という折りたたみ式の地図です。大部分が旧町部を中心とした3500分の1の市街図ですが、滑川市全図(50000分の1)、堀江地区と滑川漁港の近隣図(3000分の1)も掲載されています。裏面には合計341の官公庁・病院・工場・商店をはじめとした各種施設や店舗の住所・電話番号などが掲載されています。しかし、これらが当時滑川に存在したすべての施設や店舗といったわけではありません。この当時、確実に開業・開店していたところが洩れていることを考えると、広告料を支払ったところや公的な施設だけが地図や裏面に記載されたと推測されます。

富山県滑川市の一部の地域を拡大している地図

富山県滑川市全図(部分)

瀬羽町の通りは「銀座通り」、大町から東にかけての通りは「中央商店街」となっています。また、十字に交わる晒屋の通りは「さらしや商店街」と「さらしや一番街」と記載されています。この地図が作られた頃には、滑川東映劇場(瀬羽町)、滑川中央劇場(橋場町)、滑川日本劇場(晒屋)、滑川第一劇場(常盤町)と4館の映画館があり、地図からは中新川の中心地として滑川が賑わっていた時代が偲ばれます。

またこの地図には昭和30年頃から盛んに整備される都市計画街路の計画路線が破線で描かれています。この整備前の道路網をはじめ、現在の町並みや景観とは異なったものも多く、この時代は滑川にとって一つの過渡期ともいえる時代でした。そこで今回は昭和30年代の「懐かしの滑川」を館蔵写真からご紹介します(年の記載の無い写真はすべて昭和30年代頃です)。

滑川市役所

2階建て瓦屋根をした旧市役所を写したセピア色の写真

旧市役所(昭和30年頃)

広い広場の奥に見える4階建ての新市役所を写した白黒写真

新市役所(昭和38年)

荒町にあった庁舎は、元は県立水産講習所の建物で、大正15年から昭和33年まで滑川町役場(市役所)として使われていました。この後、現在の下島に校舎を新築移転した滑川中学校の旧校舎(寺家町)に移り、現在の市庁舎は昭和38年に竣工したものです。市民会館は昭和43年に建設されたため、この頃にはまだありません。

中滑川駅

中滑川駅の外観写した白黒写真

中滑川駅

広い空き地が広がる奥に小さく写っている中滑川駅の白黒写真

中滑川駅遠景

中滑川駅は、国鉄滑川駅とともに、滑川市の玄関口でした。駅の北側広場と南側広場を結ぶ地下道は昭和36年に完成したもので、この頃の乗降者数は一日約1,300人でした。なお、現在の駅舎は電鉄魚津駅に次ぐ地鉄2番目のステーションビルとして昭和44年に竣工しました。

町並み

通りにバスや人が行きかっている荒町の町並みを写した白黒写真

荒町

通りの両側に建物が並び、街灯が灯っている瀬羽町の町並みを写した白黒写真

瀬羽町

中央に川が流れ、川の左側の夜店に多くの人々が集まっている白黒写真

晒屋

通りの両側に店舗などが立ち並んでいる晒屋の町並みを写した白黒写真

晒屋

明々と街灯に照らされた瀬羽町や、まだ中川が暗渠化されていない晒屋の夜店に集う多くの人々の姿が見られます。写真からは中新川随一の繁華街として旧町部が活況を呈していた時代の様相が感じられます。

滑川の海岸

浜辺に1軒の家と倉庫のような建物、土俵がある和田の浜の白黒写真

和田の浜

加積雪嶋神社前には白波のたつ海岸がすぐ近くにあり、海岸沿いには神社前の道に沿って護岸壁が遠くまで続いている加積雪嶋神社前の白黒写真

加積雪嶋神社前

現在、滑川の海岸は高い護岸壁や消波ブロックで固められていますが、この頃はまだ石浜が広がっていたことがわかります。和田の浜は明治40年代以降、海水浴場として賑わっていました。昭和32年の滑川漁港の開港や護岸工事の進展によって、滑川の海岸風景は少しずつ変わっていきました。

(文責:学芸員 近藤浩二 2011年1月5日)

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