所蔵資料紹介 Vol.5補遺 巌谷小波と滑川

更新日:2018年02月08日

Vol.5補遺 巌谷小波と滑川

以前、「風月会俳句大会秀逸句選」という扁額をこのコーナーでご紹介しました。これは昭和3年(1928)7月15日、料亭の清水花壇(常盤町)で行われた滑川町の俳諧結社「風月会」の俳句大会における秀逸句を、東京から招かれた選句者の巌谷小波が揮毫したものです。この扁額は地方俳壇と都市文化人との交流を示す貴重な資料であることは間違いありませんが、巌谷が滑川で俳句大会の選者を務めた理由、風月会との接点はいったいどこにあったのでしょうか。

巌谷は非常に筆まめだったのか、明治20年(1887)から亡くなる昭和8年までの日記が現存しています。明治40年代からは東京での日常を綴る当用日記と、子どもたちへのお話し会や講演会、取材旅行などで日本各地を行脚した際の外出用日記の2種類を使い分けるようになりました。ここでは、この外出用日記から滑川との関わりを探ってみたいと思います。

日記によると、巌谷は少なくとも富山県を6度訪れており、4回目の来富の際には上市町から滑川駅へ向かっていますが、行程から見て鉄道の乗り換えのためと見られます。昭和3年5月の5回目となる来県では呉東地域を中心に巡っており、このときに滑川周辺も訪れています。

巌谷小波の来富状況
日程 主な来訪地
明治42年5月22〜25日 富山・高岡
大正4年5月26〜27日 富山・高岡
大正12年11月20〜21日 高岡・福光・石動・伏木・新庄
大正13年6月17〜18日 富山・五百石・上市・三日市・小川温泉・泊
昭和3年5月15〜19日 東水橋・大沢野・笹津・東岩瀬・滑川・舟見・小川温泉・入善・三日市・生地・宇奈月
昭和3年7月13日〜19日 富山・八尾・滑川・富山・戸出・城端・福野・高岡・氷見
巌谷小波の初の富山来県を伝える記事

巌谷小波の初の富山来県を伝える記事
明治42年5月24日『富山日報』
富山県立図書館蔵

少し脇道にそれますが、右の新聞は巌谷が初めて富山を訪れたとき(明治42年)の模様を報じた記事です。子どもたちは「小波おぢさん」のお話を待ち焦がれており、「少女の会」に200人、「少年の会」には500人以上が訪れるなど、1日に複数回実施された講話会はいずれも大盛況だったことがうかがえます。巌谷はお話を聞くのを楽しみに待つ子どもたちのため、全国を飛び回っていました。

さて、話を巌谷と滑川の関係に戻します。昭和3年5月16日、東岩瀬を発った巌谷が正午前に滑川町へ降り立つと、ここへ加藤敬太郎という人物が現れ、その案内で東加積小学校を訪れました。そしてこの後、「加藤氏(小雨庵)方、揮、酒肴あり」と日記にあることから、加藤宅で揮毫をし、酒肴を振る舞われたことが分かります。午後5時に加藤宅を出て常盤町の清水花壇へ投宿すると、巌谷を訪ねてきた有志数人が午後11時まで滞在しましたが、加藤はこの間もずっと同行していたようです。翌朝は、加藤と風月会の主要メンバーだった高島半茶らとともに滑川商業学校を訪れ、次の来訪先へ向かって行きました。

加藤烏外

日記に出てくるこの加藤敬太郎という人物は、東加積村春木(滑川市開)に居住し、大正10年代には村長を務めた名士でもありますが、むしろ風月会を主宰した吉田芳塢から2代目「小雨庵」(庵号)を継承した宗匠・加藤烏外という名で知られています。

ここからは推論です。巌谷は恐らく子どもたちへの講話のため東加積小学校を訪れたのでしょうが、接待役を務めた加藤はこの機会をとらえ、7月に開催する俳句大会の選句依頼をしていたのかもしれません。風月会の会誌『凡人』誌上で俳句大会の開催日決定告知がされたのは、5月30日発行号(印刷27日)のことになりますが、これは偶然でしょうか。

しかし、巌谷と加藤烏外との関係性にはほかにもさまざまな可能性が考えられるため、滑川との関わりを明確にするには、日記の詳細な分析や更なる調査が必要となってきます。ただ、5月16日の日記に加藤の名前が俳号(烏外)ではなく本名(敬太郎)で書かれていることは、これ以前に俳句を通じての関係性が構築されていなかったことを暗示しているのかもしれません。

富山市での講演と俳句会を報じた記事

富山市での講演と俳句会を報じた記事
昭和3年7月17日『富山日報』夕刊
富山県立図書館蔵

俳句大会前日の7月14日午後3時に清水花壇へ入った巌谷は、加藤烏外と再会しました。当日の朝から選句と頼まれていた揮毫をこなした巌谷は、午後から風月会の俳句大会に参加し、その選句結果が「風月会俳句大会秀逸句選」として今に残るということになります。翌朝、加藤と高島半茶の2人の案内で西加積小学校を訪れてから滑川を離れ、その後は徳風会館(富山市)で講演と俳句会、福野農学校での講演をはじめ、呉西地域を中心に県内を巡りました。

昭和8年に亡くなる巌谷にとって、これが最後の富山来県になったようです。

本稿では「巌谷小波日記(コピー版)」(明治大学和泉図書館蔵)を分析に使用しました。

(文責:学芸員 近藤浩二 2013年4月1日)

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