所蔵資料紹介 Vol.3 飛越地震災害図

更新日:2018年02月08日

Vol.3 飛越地震災害絵図(「岩城家文書」)

当館は「岩城家文書」という史料を所蔵しています。岩城家は、滑川や越中だけにとどまらない活躍を見せた寺社建築を得意とした大工の家で、石仏村(現上市町)十村の岩城家から現在の下小泉町あたりに分家したとの話がご子孫に伝わっています。そして幕末頃に滑川の横町に居を移したようです。

岩城家は、庄蔵、丈蔵、庄之丈の直系3代にわたって大工職を営んだ家と言われてきましたが、「岩城庄蔵之父上甚次郎申人之作絵図ナリ」と記載された史料が見つかったため、化政期以降に活躍した庄蔵以前から大工を生業としていた可能性が高くなってきました(この点については東北大学大学院工学研究科永井康雄准教授にご教示いただきました)。

越中国新川郡第弐大区官道筋里程等見取絵図(部分)

越中国新川郡第弐大区官道筋里程等見取絵図(部分)
(推定明治11年頃)

大工の家に伝わった史料であるため、建築技術書や設計図面類が当然多くを占めていますが、中には地租改正、明治天皇北陸巡幸などに関する絵図類も含まれています。これらは天保14年(1843)に生まれた庄之丈が製作したものです。のちに東本願寺再建の建築肝煎役を務める庄之丈は、慶応2年(1866)から明治4年(1871)まで、下砂子坂村(現富山市水橋)の関流和算に秀でた久世源作から和算や測量学を学び皆伝しました。久世家は新田才許列などを務めた家で、源作は加賀藩測量方や山廻列などに任じられているようです。なお、源作の伯父は北陸近代医学の先駆者として知られる黒川良安です。

安政五年常願寺川非常洪水山里変地之模様見取図(山方図)

安政五年常願寺川非常洪水山里変地之模様見取図(山方図)

この岩城家文書に残る絵図は、庄之丈が源作の下での勉学を終えた以降に製作されたものがほとんどの中、飛越地震の被害状況を描いた1組の絵図があります。飛越地震は安政5年(1858)2月26日に起きた跡津川断層を震源とする推定マグニチュード7.3~7.6の大地震です。この地震により立山の大鳶山と小鳶山が崩壊し、流出した土砂が常願寺川を堰き止め、3月10日と4月26日の2度にわたって決壊して富山平野に大きな被害を与えました。絵図は崩壊地と洪水被災地を色分けして詳細に描いていますが、製作者の情報は記載されていません。果たして庄之丈が描いたものなのでしょうか。

安政五年常願寺川非常洪水山里変地之模様見取図(里方図)

安政五年常願寺川非常洪水山里変地之模様見取図(里方図)

ただ、この災害絵図と近似した描写の絵図が加賀藩十村役を務めた加藤家の古文書(羽咋市歴史民俗資料館蔵)に残されています。これには「初図山廻役調上」、「下砂子坂村源作改製」と書かれていることから、山廻役によって作られた絵図をベースに、久世源作が作り上げたことが分かります。大工の家に藩関係者が作成した記録が伝わったとは考え難いため、岩城家文書に残る絵図は災害当時に描かれたものではなく、源作が保管していた作成絵図の控を門下の庄之丈が写したものと考えられそうです。また、明治天皇北陸巡幸の際に、石川県大書記官が飛越地震の惨状について奏上していることから(当時富山県域は石川県に編入されていました)、巡幸に備えて製作された可能性も指摘されています。

総点数6,000点以上の岩城家文書には、このように建築関係以外の史料も含まれています。現在当館では、岩城家文書の利用・公開に向けて整理を進めています。

 

参考文献

古川喜代吉「久世央先生の墓碑に就いて」(『高志人』第7巻第11号、1942)
永井康雄『日本古典建築の設計原理の分析と現存遺構との比較に関する研究』(2008)
嶋本隆一他「安政大災害(1858)における加賀藩の災害情報と被災対応」(『立山カルデラ砂防博物館研究紀要』9、2008)

(文責:学芸員 近藤浩二 2009年12月21日)

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