所蔵資料紹介 Vol.2 滑川の大蛸
Vol.2 滑川の大蛸
今年も滑川漁港にホタルイカが初水揚げされ、ホタルイカのシーズンがやってきました。今では滑川が全国に誇るホタルイカですが、これは明治後期、ときの滑川町助役・城戸与吉郎が仕掛け人になってPRしたことで、全国的に知られるようになったものです。これより以前、滑川が全国に知られていたのは「イカ」ではなく、なんと「タコ」でした。今回はその「タコ」についての資料を紹介します。
『日本山海名産図会』
(当館蔵)
寛政11年(1799)に発刊された『日本山海名産図会』巻四(以下『名産図会』)に、「越中滑川之大鮹」として挿絵つきで紹介されています。文章を要約すると、「滑川の大蛸は牛馬を取り喰い、漁舟を引っくり返して人を捕る。漁民にこれを捕える方法はない。そのため舟の中で寝たふりをして待てば、蛸が寄ってきて足を伸ばして舟に打ちかかってくるので、素早く鉈で足を切り落として急いで漕ぎ帰る。その危険なことは生死一瞬のことである。この大蛸の足を店の軒先に吊るすと、長いため地面に余る。また疣(吸盤)を一つ食べると一日の食事に足りる」という内容です。
絵の左上部で漁民が大蛸の足を切り落とす場面、左下部には軒先に吊るされた足を見た旅人と思しき人たちが驚いている姿が描かれています。この『名産図会』の著者は、文人・好事家・蒐集家などとして当時非常に名高かった大坂の木村兼葭堂〔きむら・けんかどう〕と推定されています。兼葭堂は本草学や博物学にも精通していたことに加え、交流範囲が非常に広い人物でした。この本は事物などの詳細な記述に加え、特徴をよくとらえた絵図から構成されており、現在でも高い評価がなされています。ただ、この大蛸の話については、描かれている町並みが北陸地方に多く見られた板葺き石置き屋根ではなく茅葺き屋根が描かれてあることから、実景ではなく噂話を元にしたのだろうと言われています。
大蛸との格闘
軒先に吊るされた足
では、このようなお化けダコが富山湾に本当にいるものなのか魚津水族館の学芸員・稲村修さんに聞いてみました。
ミズダコ
「描かれているのはミズダコでしょう。普段は水深200~300メートルのところにいる冷水性のタコです。絵を見ると岸に近い海のようですが、水温が下がる晩秋から初春にかけては浅い沿岸域に産卵に来ます。大きい雄は全長3メートル、体重も40キロ以上になることがあります。吸盤も大きいので人によっては一つで一食くらいにはなるかもしれませんね。ミズダコは昔から、頭と足とを切り分けて販売していたので、足を軒先に吊るすということもおかしいことではありません。また、ミズダコは陸には上がりませんが、マダコは海辺の陸に上がることもあります。タコが牛馬を襲うことはありませんが、さまざまな話が結びついてこのような大きな話になったのではないでしょうか。」
大日本物産図会
(当館蔵)
この画題は、全国的に人気を博した浮世絵・錦絵にも取り上げられました。歌川国芳の「山海愛度〔めでたい〕図会」(嘉永5年・1852)、三代歌川広重こと安藤徳兵衛の「大日本物産図会」(明治10年・1877)では、漁民が大蛸と格闘する場面が象徴的に描かれています。数回の版を重ねた『名産図会』に加えて、有名絵師たちによる浮世絵・錦絵でも取り上げられたということは、「滑川の大蛸」の話は当時広範に知られていた可能性が十分にあります。
「山海愛度図会」
(国立国会図書館蔵)
滑川の海にお化けダコが実在したかはともかく、大きなミズダコの存在自体はこの地域では珍しくはなかったものの、たまたまこれを目にした旅人からすれば珍奇なものに映ったのでしょう。旅人が目にしたミズダコは、土産話として驚きを持って語られたことは想像に難くありません。そしてこの話は人々の未知なものへの興味・関心を喚起させ、さらに想像力も刺激し、ついには人や牛馬を襲う巨大なタコというセンセーショナルな話が付加されたのではないでしょうか。「滑川の大蛸」は奇事奇談を地方や周縁社会に求めた当時の都市人たちによって流布された話だったと言えます。
明治中期頃になると、それまで「マツイカ」や「コイカ」と呼ばれていた発光する小さなイカを、滑川町の俳諧結社「風月会」のメンバーが「蛍烏賊」と表現しはじめ、明治38年(1905)に渡瀬庄三郎博士によって「ホタルイカ」と命名されます。そしてその後は冒頭で述べたように、滑川の観光資源として、今度は地域から全国に向けて発信されていきました。こうして滑川の“顔”は巨大な「タコ」から小さな「イカ」に代わっていったのです。
(文責:学芸員 近藤浩二 2009年3月3日)
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更新日:2024年01月24日